国家の介入の成功例
1960年〜1970年にかけて工業先進国の間で公害の度合が顕著になっていた。公害は広い意味では市場経済がもたらした過ちであり「見えざる手」(この表現は経済学の父と呼ばれるアダム・スミスが国富論の中で使った言葉で、市場の行為は政府の介入無しに行われると言う事を意味する)であった。
これが逆に公害問題に関しては国家が積極的に関与すべきで政府の「見える手」が行為を為すべきであると言う考え方を導き出した。
特にOECD各国は公害規制に乗り出した。これは一時代を代表するような一大成功物語となった。それから2〜30年後になり公害先進地域であった、ピッツバーグ、大阪、ルール地方の空気は澄み、オハイオの水、テームズとラインの川や湖沼が何事も無かったかのようにきれいになった。
水銀とカドミウム汚染による水産物の食物連鎖による悲惨な公害に悩まされた日本は、法的規制を取りいれた事によりわずか数年でこれらの問題から立ち直る事ができた。
国により、法的規制の方法は異なるが、公害の抑制に「見える手」抜きには達成は不可能であった。
金持ち先進国が法的規制で公害を鎮めることに成功する一方で、工業化をこれから進めようとする貧乏な国では公害対策をする十分な予算などない。このパラダイムを図表にしたのが添付の図である。
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