個人の意識改革だけでは持続可能社会は作れないと実感。
約一カ月にわたるアメリカ、テネシー州コフィー郡デカードへの出張を終えての感想である。ガソリンの価格は前回訪れた2004年には1ガロン(3.78リッター)が1ドル(2004年10月頃は105円)付近であったのが、3倍以上の3ドル20セントに上がっていた。これは、日本式に換算するとリッターあたり27円だったのが89円に跳ね上がった事になる。この値上がりが長距離自動車通勤を持続不可能にし、大都市周辺の不動産価格の急落につながり、サブプライムローンの崩壊となり、やがてリーマンショックになっていったとする「ファクター5」の解釈を実感させる。
しかし、私のまわりの平均的ないわゆる中産階級のアメリカ人の生活を見る限りそんなに変化が見受けられなかった。相変わらず彼らが「トラック」と呼ぶSUVに乗り、秋の狩猟シーズンにはライフルを何丁も持ってこのSUVを駆って狩りに出かける、そう言うライフスタイルに変化を認める事は出来なかった。彼らの地球温暖化に対する考え方も、今地球で起きている事が人類が地球に負担を与えた為の変化なのか、地球の本来の温暖化サイクルからくるものなのか証明はされていないと言うのが彼らのコモンセンスの様であった。
滞在していた間、目を通し続けたウォール・ストリート・ジャーナルには持続可能社会を啓蒙するような記事も、オピニオンも、私がブログで紹介した広告記事以外には残念ながら見つける事ができなかった。
テレビのコマーシャルでも相変わらず、巨大な車が宣伝されている。ただ、必ず「効率」「燃費」と言うキーワードは入っている。これが変化の兆しなのかも知れない。
ただ、今回毎日車を使っての通勤でレンタカーの走行距離は3200kmとなる程であったが、アメリカを走っていてこの広い豊かな自然の中のフリーウェイを走るのにコンパクトな車では心もとない気持ちは何となく分る気がした。個人の意識の変化のみに期待したのでは持続可能社会の建設は難しいと実感させられた。
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