世界は人間がひつようとするものは全て備えているが、人間の欲望を満たす用意はない。 ――マハトマ・ガンジー
2008年のリーマンショック以来、経済不況は数百万の家族を貧困にし、ホームレスにし、さらには飢餓におとしいれ、それは現在も続いている。世界は緊急に限られた資源を浪費すること無く、貧しい人々にも行き渡らせる賢い方法を見つけ出さねばならない。
この問題を掘り下げて行くと、何故人類は消費社会の夢から離れて充足感を得ると言うことが、そんなに難しいのかと言う問題につきあたる。
大多数の人々にとっての現代生活における安心とはなんだろう? それは、愛する家族と快適な住宅、自家用車が1台、健康的な食生活、品質の良い衣類と化粧品、安全な医療品と医療サービス、世界の文化や芸術に自由に接することができ、スポーツを楽しみ、休暇を楽しむことができると言うものであろう。そして、隣人が家をリフォームしたり、高価な家具や電気製品を購入したり、三つ星レストランでの食事をしたとか、豪華な長期海外旅行を楽しんだ等と聞くと、自分たちも負けてはいられないとそれ以上の欲望が湧いてくる。
彼らは市場の格好のターゲットになっているだけである。市場は欲望を掻きたてるありとあらゆる賢い戦略を使っているからである。
メディアも政治も経済学者も、環境負荷のことはそっちのけで経済の成長のみを望んでいる。経済成長のみが、消費財、観光ビジネス、建設業における雇用を保証するものであると信じられている。しかし、従来の経済構造のままでの成長を続けることは、環境の破壊を進めるだけであることを知らねばならない。
このままでは70億人の人々の持続可能性は有りえない。例え、省エネ政策が成功したとしても、今後も従来と同じような消費の増加を続けることは不可能である。
成熟した社会においては、無限に消費を拡大するという欲望には限界があることを知り、充足を得ることを学習する必要が有る。
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