化石燃料の浪費は人類の特権か
地球上に住む全ての生物は太陽光のエネルギーだけでその営みを続けている。正に持続可能社会である。その地球上で唯一の例外は人類である。人類のみが太陽光エネルギー以上の資源を使用している。古くは森林を伐採して熱源にし、産業革命以降は石炭、石油などの化石燃料をあたかも無尽蔵に有るかの如く浪費しそれでも足りなく原子力発電まではじめた。
我々の頭には、豊かな生活=資源の消費、より豊かな生活=より多くの資源の消費と言う公式がまるで公理の様に刷り込まれてしまっている。省エネと言うと、売上の減少→経済の後退→豊かな生活からの決別という風に考えられがちである。
産業革命以降のわずか200年の間に地球人口は10億人から70億人になった。そしてエネルギー消費量はその間60倍に増えている。現在エネルギーの消費の80%は先進国の10億人が消費している。中国、インド、ブラジル、ロシア、インドネシア等の30億人がそれに続こうとしており、彼らは先進国の10億人と同じくエネルギーを消費する権利が有ると主張している。まだ何のエネルギーの恩恵にもあずかっていない人々がさらに30億人いることを忘れてはならない。先進国はエネルギー消費を増やさなくても豊かさが得られることを身を持って示す使命がある。
自然界では樹木は太陽光のエネルギーだけで、人類の作りだした大発明であるプラスティックと同じような機械的性質を持てる木材を作り出す。そこには化石燃料も、熱も、圧力も必要としていない。クモが吐き出す繊維は人類の最新技術の炭素繊維に勝るとも劣らない機械的性質を有するが、それを作るのには熱も、圧力も使っていない。
人類は持てる英知を使って資源の浪費をせずに快適な生活ができる方法、つまり持続可能社会を作れるはずである。
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