冷戦の終結が地球温暖化対策を遅らせた
3月18日のBadische Zeiung(バーデン新聞)電子版に掲載されたフォン・ヴァイツゼッカー教授のインタビューから抜粋して紹介する。
BZ(記者): ヴァイツゼッカーさん、あなたは飛行機を良く使っていますが、飛行機を利用する事に環境学者として後ろめたさは感じませんか?
W教授:当然感じます。航空機は地球温暖化には最悪の乗り物です。それにも拘わらず私は世界中の会議に出席する為に飛行機を使います。それは、中国、インド、ブラジル等、今インフラを作ろうとしている国が、将来、巨大な地球環境の敵となってしまわないようにする為に働いているのですから、私の航空機利用は許されると信じています。
BZ: 20年前にリオで締結された気候変動枠組条約は、「国際的な協調はするが、自国の経済を損なわない程度にと言う条件付き」でしたが、これは20年経った今どうなっていますか?
W教授: それにより悲劇が生じています。1992年当時、私はリオの会議に深く関わっていましたが、当時地球温暖化問題、持続可能性についてかなり突っ込んだ議論がされ、大変手ごたえのあるものでした。その実行の為には世界は年間50兆円の支出をするはずでした。しかし、それは起きなかった。
BZ: どうしてですか?
W教授: 1990年当時は国家がまだ力を持っていました。市場は国家の定めたルールに従っていました。それは冷戦が存在していたからです。市場は共産主義からの波を防ぐ防波堤の役目を国家に求めていました。その為に企業は国家に協力していました。共産主義国家が崩壊し、資本家は国家と協調する必要が無くなりました。企業は株主にしか責任を感じなくなってしまいました。企業は国家に対し税金を下げなければ国を出て行くと脅して税金を下げさせました。これが税金が安くなるスパイラルの始まりで、こうして国家の財政は急激に悪化し、その為にリオでの約束を果たす事ができなくなった。
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