豊かさをGDPであると思う習慣を変える
昨日のブログで書いたIPATの式は豊かさ(生活の快適度=Affluence)は一人当たりのGDPで示すが、確かにGDPとCO2は比例している。では、本当にGDPは豊かさと比例しているのだろうか。そろそろ豊かさはGDPとは関係が無いと言うことに気づく時がきている。GDPの増大は豊かさの増大にはならない事を知るべきである。GDPは売上の総合計であると言える。企業家は売り上げが下がる事は経済の縮小であり企業にとっては悪であるとする。
今年は猛暑であるが、7月の電力消費は昨年比で6.3%減で685億キロワット時で、特に家庭の消費は-12.4%の192億キロワット時で有ったと言う。これは好ましい事であるが、売上が6.3%下がる事は電力事業者にとっては悪である。
日本の水道水の品質は世界に誇れるものであるのに、ペットボトル入りの水が売れている。これを豊かさと呼ぶのであればやはりGDP=豊かさは正しいと言えよう。冷え過ぎたビルの冷房をエネルギーの無駄遣いと考えるか、豊かさと考えるのか、日本特有の炎天下に立つ飲料水の自動販売機を豊かさと考えるのか、多すぎる肉食、糖類、油脂を使った料理は健康を損なうだけでなく環境負荷も大きいが、これを豊かさと考えるのだろうか。これらはすべて同じ問題である。持続可能社会ではこれらを少なくして環境負荷(I)を減少させる必要がありGDPは下がるが、これが豊かさを失う事にはならない。
2002年のヨハネスブルグ会議では持続可能な消費がテーマに取り上げられた。国連環境計画(UNEP)はIPATの式を取り上げて「環境負荷(I)が減少する豊かさ(A)を目指す」と提唱した。
白熱電灯が非効率的である事はやっと常識になってきたが、真冬にスーパーの棚にならぶサクランボがハウス栽培でどれだけのエネルギーを消費した結果であるのか、あるいはチリから何万キロもジェット機で運ばれて来たものか、に思いを巡らす人はまだ少なく、中には豊かさを感じる人さえいることだろう。環境問題を知ること、知らせることは大変重要である。
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