環境に関する法的規制については国により法体系が異なる。
アメリカでは1970年のはじめに、大気汚染と水質汚染問題解決の為に環境関連法の波が押し寄せていた。
資源保護とリサイクル関連法、有害物質規制法(TOSCA)、野生生物法、そして最も重要と言える1970年1月1日施行の環境政策基本法(National Environmental Protection Act)等である。そして、同年には環境保護庁(EPA)と言う実働部隊が設置された。
1980年のLove Canal事件を引き金に、カーター大統領が工業界に公害事件が起きた場合に対処する財源を予めプールして置く緊急資金法を制定した。このような連邦政府の動きに並行して各州は環境関連の幾多の法律を作って行った。中でも大気汚染に悩んでいたカリフォルニア州では厳しい規制や法律が施行された。
アメリカに於ける環境関連法の制定は、決められた規制値を超えた事により訴訟を起こされた企業を罰すると言う、アングロサクソン的律法の考え方から来ている。かくして、企業に対する訴訟は嵐のように起こり増加の一方を辿った。その対応が負担となった産業界は、これらの法律は役所の怠慢を産業に押し付けるものだとの世論を形成して行く事になった。
欧州では、少し異なった形で各国の環境関連法が形成されて行った。まず、EUが当時先行していたフランス、オランダ、ドイツを参考にして規制値を決めた。各国はその規制値を守るような法律を、EUと連携を取りながら作って行った。ある企業がEU内に工場を建設しようとするとき、その国の法律に従い規制値を守った設計の工場を作るが、操業にあたってはEUからの認可を必要とする。この認可制度がお役所仕事であるとの悪評は立ったが、認可を受けた工場は法的に守られ、訴訟の嵐に合う事は無かった。
日本ではさらに事なったアプローチが取られた。政府は産業界と打ち合わせた上でまずかなり高い長期達成目標値を発表した。これをもとに各企業は長期計画に沿って短期目標値を設定して環境改善の為の設備更新を行っていった。この方法は、予想以上に効果的でその結果は1976年のOECDで角倉一郎氏が誇り高く報告をしている。日本がまだ環境先進国であった頃の話である。
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