ブログ「ダンテの森」は、皆様のお陰で3年目を迎えることができました。感謝。
今日は終戦記念日である。ブログ「ダンテの森」を書き始めて今日で2年になる。毎日読んで下さる方がいらっしゃるのが励みで、ほとんど欠かさずで書く事ができた。現在も毎日250人位の人が読んで下さっている。(Visit数) 間違ってサイトに入ってきた人やGoogle検索などで飛び込んで来られてすぐに出て行くなどした、ヒット(Hit)数は毎日3000〜4000有る。
現在、コメントとトラックバックはスパムコメント対策の為に止めさせて戴いている。7月に突然4000通ものコメントがロボットから送られてきた。ほうっておくとサーバーがパンクすると困るので、コメントとドラックバックを使用できなようにして、読者の皆様にはご不便をお掛けしている。レンタルサーバーによると今のところ対策は無いとの事である。環境と言う一つのテーマだけのブログは、我ながら珍しいと思っている。今後も環境一徹で行くつもりであるので、皆様の応援を宜しくお願い致します。
ブログ管理人への連絡は当面メールで、 danteアットマークjetiserv.com にお願いします。
終戦記念日にあたりぼくの思いを一言。1976〜1980位の間仕事で東南アジアの国になんども出張した。韓国、中国、台湾、香港、フィリッピン、マレーシア、シンガポール、タイなどへ行った。当時の日本人は東南アジアの人から、外は黄色いくせに気持ち(中身)は白人のつもりでいると言う意味からの蔑称として、「バナーナ」と呼ばれていたことも知った。
すでに日本はこの当時これらの国々よりも経済的には一歩先に進んでいたので、面と向かっては日本人に対してはまず友好的であった。「日本人大好きね」などと言われたものである。ぼくは、できるだけ現地の人と腹を割った話をするように勤めて、良く議論もしたが、その中から各国に友人と呼べる人ができた。
8月の有る時、良い友達になったシンガポール人からイベントに誘われた。それは、国が主催する第二次大戦の終結を祝うイベントで、毎年行われているものであった。「対日戦勝記念イベント」であった。あとで知ったが、東南アジアのほとんど国が「対日戦勝記念日」を制定して祝っているのだ。
そのイベントに参加していて、日本の8月15日が「終戦記念日」であって敗戦記念日では無い事にふと気が着いた。日本人にとって、戦争は終わったもので負けたとは思いたくないのではないかと、ぼくは感じた。
日本は、サンフランシスコ講和条約を9月6日に結び、アメリカ合衆国と連合国に対し戦争の終結を締結した。しかし、日本が侵略した東南アジアの国々に直接「謝罪」は行っていない。ドイツが欧州で特にポーランドをはじめ多数の国々に何度も謝罪を行っているのとは対照的である。きちんとけじめが着けられない日本人と、けじめを着けずにはいられないドイツ人の違いはどこから来ているのだろうか、島国と欧州の中の国と言う地政学的な違いはあるかもしれない。
第二次大戦は、資源を求めて日本が東南アジアに侵攻した事は動かぬ事実で、それを欧米の植民地主義からの解放を支援したのだ等と言った欺瞞は通用しない。エネルギー源を絶たれ、石油を求めて南方に戦火を開いたのは日本であり、被害を被ったのは東南アジアの人々であった。
いずれにしてもエネルギーの為に戦争は起こされ、何百万人の命を奪った。資源の枯渇は人間を戦争に駆り立てる事も有る。資源は無駄に使われている。無駄をなくすだけで、今の1/5の資源で豊かな生活が送れるのである。2050年には90億人になろうとする地球で、人類が生きる道は、ファクター5しかない。
日本語版「ファクター5」はボランティア仲間の努力で、間もなく原稿が出来上がる。この調子だと11月には書店に並ぶことになるので、楽しみにして戴きたい。 |