グリーン経済への移行への障害となる主戦論と市場原理
ファクター5の考え方と通じるところが多いので紹介する。グリーン経済=持続可能な社会つまり共生と協調を中心とした社会と言う考え方と、主戦論と市場原理で成り立つ近代経済学とは相いれない。
森永卓郎(もりなが・たくろう) 経済アナリスト・獨協大学教授のエッセイ
雑誌「潮」2013年7月号から
私は大学で労働経済学や経済社会学など、いくつかの科目を教えている。ただ、どの教科でも学生たちに共通して訴えていることがある。それは平和と平等の大切さだ。
世の中は、安全保障の面で、平和主義と主戦論に意見が分かれる。一方で、経済の面でも、平等主義と市場原理主義に意見が分かれる。そして、平和主義の人は大部分が平等主義を唱え、主戦論の人は市場原理主義を唱える。平和主義なのに市場原理主義だったり、主戦論なのに平等主義の人は、ほとんど存在しない。それは一体なぜなのか。
実は、主戦論と市場原理主義に通底しているのは、自分のことしか考えていないということだ。自分のことしか考えていないから、国防の為なら戦争はやむを得ないと言う。兵役が志願制の場合は、貧困層が生活の苦しさから志願する。そして彼らは最前線に送られ、命を落とす。国のために戦って命を落とした兵士は敬われるが、それだけのことだ。自ら志願したのだから、命を落としてもやむを得ないとされるのだ。経済の面でも同じだ。市場原理主義者は、格差を当然のことと考える。所得が低いのは努力が足りないからだ。くやしかったら頑張りなさいと考えるのだ。貧困は自己責任なのだから、他人が苦しもうが、命をおとそうが、知ったことではないのだ。
一方、平和主義と平等主義を主張する人は、自分だけがよくなっても幸せを感じられない。他人が苦しんだり、命を落としたりするのを見ていられない。だから戦争には反対するし、貧困の拡大に心を痛める。困った人がいたら助けたいと思うのだ。
実は、近代経済学が描く社会の姿は、主戦論と市場原理主義だ。経済学には合理的経済人が登場し、すべての行動は、いかに自分の利益を大きくするかという基準で決める。他の人のことなんて知ったことではない。自分の利益を最大化するというのは、資本主義社会の本質だから、この経済学は現実社会をかなりの部分説明することができる。それどころか、いまの日本の経済社会は、この近代経済学の描く社会にどんどん近づいている。成長戦略として規制緩和が重要だ、憲法を改正して国防軍を創設しよう。そうした理念を多くの国民が支持しはじめている。
しかし、私たちはなぜ社会をつくったのだろうか。それは、お互い助け合うためだったのではないか。人類がまだ農耕を始めていない時代、採取された果実や仕留めた獲物は、皆で平等に分かち合った。だから争いも貧困もなかった。資本主義の発展とともに、戦争と格差がもたらされたのだ。
日本は、戦後七〇年近く経った。それだけの時間が経つと、戦争の悲惨さや貧困の苦しさの記憶が薄れていく。だから、いま威勢の良い弱肉強食論が勢いを増しているのだろう。若者が右傾化しているのは、まさにその象徴だ。だから、若者たちに平和と平等の大切さを訴え続けるのは、年長者の責務だと思うのだ。(潮2013年7月号p28-30に掲載されているものを転載。)
|