電力会社にせよ、東京の政府にせよ福島第一原発事故の責任を本当にとろうとはしない。
Sueddeutsche Zeitung, 2013-09-05
Christph Neidhartの記事から、
まるで、思考能力を失ったかのような従順さと言う、問題に対する日本人のスタンスは子供のころから学校で教育されたものである。原発事故に対するいい加減さの表れである。事故の責任は東電にある。しかし、この事故の混乱に乗じて大いに利益を上げているのも東電である。
東電は、この事故の混乱が大きくなるにつれて、巨額の援助が政府から行われる事を承知している。日本政府はこの事故を東電との共同責任であるとした。これが東電に優位な立場を与えた。
東電は壊れた三基の原発事故を、これまで一度たりとも真剣に受け止めて対処をした事は無い。事故処理にあたり、最初からこの会社は小細工をし、ごまかし、嘘を言い、全て安上がりに終わらせてきた。この結果の一つが汚染水タンクである。何百と言うタンクは全て急ごしらえで、水位計さえ付いておらず、つながれたホースにはあちこちガムテープで補修して有る。
この段にきて、日本政府が事故対応の前面に立つと言う。2年前に政府が対応すべきとの声が上がった時に、当時の原子力安全委員会は、責任の所在が明確ではなくなるとの理由で反対した。確かにこの考えには一理ある。その為に、今回の政府決定を喜んでいるのは一部の楽観主義者だけである。
このいい加減さに問題の本質である「責任」がある。「責任」は社会で最も重要なもので、信念をもって当るべき問題である。安倍晋三氏は、いまだに第二次世界大戦の「責任」を感じていない。
日本の社会システムにある間違い
自ら罪を認める事は顔をつぶすことで、誇り高い日本人には耐えられないことなのである。これまで日本政府は、不祥事が起きるたびにことごとく問題を隠し続けてきた。今回の原発事故も同じ事である。
日本人は、技術者として優れていると思っており、その誇りが強すぎる面が有る。たしかに、日本人はハイテク技術の発展に大いに貢献をしてきた。その中で、日本の中枢は、日本人をそれぞれの持ち場の中で最大の能力を出すことを目標とするような社会構造を作り上げた。その中で飛び抜けた存在は無視されるか、頭を叩かれる。それでも引っ込まなければ排除された。このシステムは学校からはじまる。規律と同一性を重んじる教育は、結果として他に類を見ない社会を作った。秒単位の正確さで到着する電車、信じられない程の混雑でも罵声を上げるでもなく殴り合いも起こさない乗客、ゴミ箱が無いのにゴミが落ちていない道路、日本に初めて来た人が驚く光景である。
規律を重んじ、義務をひたすら遂行する日本人がどうして「責任」はいい加減にできるのか? 日本は強力に階層化された社会である。日本人は自分がどこに(主に会社であるが)属しているかで、自己認識を行っている。特に日本の男性は、会社の命令には目をつむって服従する。彼らに取って法律や、契約は会社への忠誠心に較べれば軽いものである。明確に犯罪であるとされない限りは、たいがい何も無かったことで終わる。
大企業の社員には個人の「責任」は存在しない。
現在の日本の企業のトップには、自分の考えを主張して、リーダーシップを認められた人はいない。ほとんどの大企業トップは、会社の命令を従順に受けて着実に無難に問題をこなし、階段を登りつめた人だけである。つまり、日本の企業の中枢は真空状態である。これは日本政府も全く同じである。そして、この真空は抽象的な「美しき日本」や「東電精神」などの言葉で埋められる。これが日本のボス達の実態である。
盲目の従順さはサムライの時代から
この思考力の欠如としか思えない従順さはサムライ文化からとの説明ができる。武士は日本のエリートとして取り上げられる場合が多いが、実際には警官であり、治安機関が主な任務であった。武士は唯一武器の携帯を許されていた為に、市民は従順に従わざるを得なかった。従順さは市民階級に武士階級により刷り込まれたものである。
第二次大戦後、政府は教育により日本人の従順さは武士階級から出ているとものと思いこませようとしたと、日本学を研究するハーバード大のエドゥイン・ライシャワー(Edwin Reischauer)は分析する。日本人は会社に忠誠心を示す事は、武士が大名に対して示したものと同じであると、今日でも信じている。
このモデルは第二次大戦後の日本にはうまく機能した。それは、ソニー、パナソニック、ホンダと言う企業のトップにしっかりしたビジョンを持った指導者がいたからである。大多数は、この強い指導者に従順に付いて行くことで自らの属する企業を強大なものにして行く事ができた。しかし、現在の大企業のトップには単なるサラリーマンしかいない。このパターンはそのまま、日本政府にもあてはまる。(以上、要訳)
原文(ドイツ語)URL:
http://www.sueddeutsche.de/politik/atomkatastrophe-in-fukushima-zu-stolz-fuer-den-gesichtsverlust-1.1762763
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