持続可能都市「江戸」における循環システム
東洋学術研究52巻2号、山本修一教授(創価大)の論文から、
江戸は、江戸湾(東京湾)を取り囲むように漁村、市街地、農村地帯、里山、森林地帯、そしてそれを貫くいくつかの比較的大きな河川で構成されていた。江戸は人口100万以上で、当時から世界有数の大都市であった。そこで利用された食糧事情や発生する膨大な廃棄物をうまく循環させるシステムとして、大きなものが2つあったと考えられる。
ひとつは、里山、農村、市街地を結ぶ循環システムである。市街地を取り囲むように存在した農村にとって、田畑で使用する肥料の確保は、極めて重要な要素である。肥料のひとつは農村にとって身近にあった里山から採取する落ち葉から作る堆肥であるが、それだけで十分な肥料が確保できるわけではない。
その不足分を補ったのが、市街地から大量に出るし尿や、薪を燃料として出る灰であった。不足分というよりもむしろ、し尿や灰が質的にも優れた主要な肥料であった。それが江戸市街地の周辺に存在した農村へと運ばれ、肥料として活用され、そこで生産された野菜や米が再び江戸の市街地に戻されるという循環が成立していたわけである。
これに加えてもうひとつ、森林地帯、漁村、河川、江戸湾を結ぶ循環システムがあった。江戸市街地を含む関東平野周辺には豊かな森林地帯があり、その森林地帯や施肥された田畑から流出する栄養塩類は、江戸湾に注ぐ何本かの河川によって運ばれ、動植物プランクトン、魚、海藻、貝類を育てた。漁村では江戸湾の豊かな海産物をとり、それは江戸の街で消費された。漁村では売れない魚、内臓、アラは、溜めて農村の肥料として江戸周辺に運ばれた。こうしてもう一つの循環システムが成立していた。
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