右肩下がりでも幸せな社会の構築=スマートシュリンク
ブログ管理人
日本の人口は人口統計を取り始めた1920年に55,963,000人であったが、1975年には2倍となり、1億1千2百万人を超えた。その後も増え続け2008年に1億2千8百万人でピークを迎えその後は減少を続けている。今後の人口の推移予測を見ると、オリンピックが予定されている2020年には124百万人、その後10年毎に117、107、97、2060年には8千7百万人へと減少する。つまり、今から56年後には人口が3割減になっている。
経済の原動力は人間の活動である。その分母である人口が減少して行くので、経済は当然収縮して行く。経済と言う言葉は中国の古典に出てくる言葉で「経世済民」でその意味は「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」であると言う。それを英語のエコノミーの訳語として日本で使われるようになり、今は中国でも使われている。民を済(すく)うのが目的であるなら、人口が減少する時には経済の規模が縮小するのは当然の事であろう。
それなのになぜ安倍首相達は経済成長を錦の御旗として掲げ、経済成長に反するものは全て悪であるかのように、京都議定書第二約束期間からは脱退し、地球温暖化ガスの排出削減計画も大幅後退させ、原子力発電をベースとするエネルギー計画は今後も伸び続けるエネルギー需要に応える為とある。なぜ、人口が減少するのにエネルギー需要は今後も増加し続けるとまで強弁して経済成長をしたいのか。
それは、いまだに企業の競争原理が働いているからである。企業は競争に勝てなければ収益率が悪くなり企業自身が成長できないからである。経団連のリーダー達はそのような企業の有り方しか知らない。おそらく財務省や経産省の官僚たちも経済成長しかイメージできないのだろう。これまでの経済学者は経済は無限に成長し続けるものとして考えて来ている。それも、近代経済のエネルギー源は化石燃料を基にしており持続可能性は無いのにである。
ヴァイツゼッカー博士が提唱する「ファクター5」は現在の経済はエネルギーを余りにも無駄に使い過ぎており、本来なら現在消費しているエネルギーの1/5で十分、現在の生活の快適さを得ることができる事を幾多の例を挙げて証明しており、それに反対しているのは安価な化石エネルギーで無駄な消費をすることで大きな利益を上げている既得権益であるとしている。
例えば建築物は40%のエネルギーを消費しているが、外断熱構造にし、断熱効率を上げ、パッシブ冷暖房システムにすることで即座に60%のエネルギー消費を下げることができるが、これは全エネルギーの24%となる。丁度、原子力発電所50基分である。建築を低エネルギー化するだけで原発の存在意義は無くなる。その他、農業、重工業、交通などでファクター5を実現すれば、現在の電力会社は1/5しか必要無くなる。エネルギー依存型の産業も1/5で済む。
人口が減少する社会では、経済成長では無く経済縮小の計画が必要になる。経済を縮小させる例は過去には無い。これまでの人類の歴史は経済成長一辺倒であったからである。経済を縮小するのは、恐らく成長させるよりも難しい。右肩下がりでも幸福な社会を実現すること。貧富の差が大きくならぬように配慮しながら、税収とサービスをへらして行く必要がある。社会資本はもう十分あると考えて社会資本の建設は行わず、保守に徹するべきであろう。
直近の問題としては、団塊の世代が高齢化し医療・介護サービスの需要が、今後数十年の間増加する。しかしその為に施設を作っていては、数十年後には使われ無い施設が増える。現在空家になっているビル、工場、学校などを低エネルギー介護施設に改築する政策が必要である。競争社会から共生社会へと社会のパラダイム変革が必要である。スマートシュリンク=賢い収縮を成功させれば、同じ問題に直面している欧州諸国にも貢献できる。 |