憲法記念日――日本国憲法について当ブログも考えてみた。
ブログ管理人
昨日あたりからマスメディアでは憲法論議で賑やかである。政府自民党は憲法を改正することなく9条には一切触れずに、集団的自衛権を政府の憲法解釈として容認の方向で進めている。
憲法の法の精神は、政府と言う国家権力に縛りをかける所にある。国民個人は国家権力の前では弱い存在なので、個人を国家から守る最後の砦として憲法が制定されている国を法治国家と言うものであると思う。
これまで日本は数々の国際紛争解決への国連に対する協力を、財政支援や後方支援、PKO法案ができてからは、紛争地帯ではない地域での平和活動に限った海外派兵を行ってきた。ここまではできるが、戦闘は憲法で定められているのでできませんと断ってきたのである。しかし、その為に国連から感謝こそされ戦闘に加わらなかったと国際非難を受けた事など一度も無かった。また、その為に国益が大きく損なわれたと言うことも無かった。
また、日本に対し国連から兵器や弾薬を供給を求められたことも無かったと思う。我が国に武器輸出三原則が有ることでそれが不可能だと思われていたからである。
自民党や自民党を支持する団体には、「日本を戦争ができる普通の国」にしたいと考える勢力がある。「戦争ができない普通ではない国」のどこが悪いというのか。軍備を放棄して軍事予算をすべて教育と環境保護に回したコスタリカなどの例もあるほどだ。国連には194か国が加盟しているが、その大多数は弱小国である。これらの小国は、どんな軍備を備えようとも大国が侵略する気になればひとたまりもない事は明白である。これらの小国が軍事力で自国を守ることなど全く不可能である。その小国の権利を担保するのが国連であり、日本もその国連を支持してきた。
世界には常に紛争地帯が有り、国連の機能が理想的に働いているとはお世辞にも言えない。しかし、日本は軍事力を行使しない国としてこれら小国の先頭に立って、国連を支援し軍事力に頼らない国の代表となって世界をリードして行くことが、第二次大戦に敗戦した後世界に製品を輸出することで経済大国の地位を築かせていただいた恩返しになるのではないだろうか。
これまで自公連立与党として影が薄かった公明党が、憲法の日のアピールを発表している。それによると憲法九条の堅持を明言し、「環境権などの加憲」「核のない世界」を目指すとしているが、これは評価に値するものである。「核」には原発も含まれるものであると信じたい。
環境権で思いつくのは、1994年にドイツの憲法にあたるドイツ基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任において自然環境を保護する」と言う環境条項を加えたことである。それ以降、ドイツ政府は保守と革新が何度も入れ替わって政権を担当しているが、環境問題に対する姿勢は変わっていない。その結果現在、環境先進国と言われるようになったのである。
憲法改正には時間がかかるからと言ってその解釈を曲げて憲法を迂回する自民党のやり方は姑息としか言いようがない。公明党が今回このようなアピールを出したことは、いざとなれば下野も辞さない覚悟がやっとできたと思いたい。 |