ここのところ起きている石原環境相の金目発言、都議会自民党の鈴木議員の「早く結婚しろ」発言に対するネット上での盛り上がりや、マスコミでの大騒ぎ、富岡製糸場の世界遺産決定に対するマスコミの騒ぎように、僕は何か居所の悪さを感じている。
もちろん、石原環境相の発言や鈴木都議の発言は環境大臣として都議会議員としての品性がまるで感じられない発言で、擁護する気持ちなど毛頭ない。又、富岡製糸場の世界遺産決定もそれなりに良い事なのだろうと思う。しかし、昨今のマスコミの扱い方は尋常ではないように思えてならない。それも、どのメディアも一様に同じ調子で騒いでいる事がどうも気になる。ネット上もツイッターでも似たような感じであるのが、更に気になる。
福島県の居住不可能地域に低濃度放射性廃棄物の処分場を作ると言う問題で、地元と交渉していた環境省との間で、全く補償金や補助金の問題が話されていなかったと言う事は無かったであろう事は容易に想像が付く。被災者は弱い立場なのだから、その人たちに対して「最後は金目でしょう」と言った石原氏の言葉は品性に欠け、配慮に欠けると言えるが、それではそこには全く金の問題は無かったのか。誠意を持って大臣が地方公共団体にお願いさえしていれば、無償で提供と言うこともあり得たのだろうか。マスコミは、ただ単に石原大臣の発言を責め立てるだけではなく、その背後の問題を浮き彫りにする報道姿勢と言うものを持つべきであると思う。
日本の議会や委員会でのヤジの応酬は何も初めての事ではない。普段の議会中継でも耳を覆いたくなるような、品位に欠けるヤジは当たり前のことである。良し悪しは別にして、議会にヤジはつきものと言える。日本が議会の手本としている英国議会でもヤジはつきもので、かつて労働党のトニー・バンクスがマーガレット・サッチャー首相に対して、「セックスに飢えた大蛇」だとヤジった事があった程である。今回ヤジられた女性都議も「そうなんです。私も結婚したいのでこの質問をしているのです。」と切り返す位のユーモアを持ち合わせて居る位なら将来嘱望される大政治家になれるのにと思う。ヤジにひるんでいるようでは議員先生は務まらないのでは無いだろうか。その事には触れず、マスコミはまるで鈴木議員が日本中の全女性に対して性差別発言をしたとばかりに騒ぎ立てる。
富岡製糸場の場合も、当時の女工が悪条件のもとで働かされた暗い面には触れる事無く諸手を上げて大歓迎する。まるで、テレビの公開放送で舞台の袖に立っているアシスタント・ディレクターが「ハイ、ここで笑って」「ハイ、ここで拍手」と腕を振り回して合図をして聴衆はその通りにする。それが、そのまま毎日のニュースの手法に取り入れられているように思う。何か事件が起きるとマスコミはまず、自分たちの立ち位置を決める。それは、現場では無くデスクのさらに上層部である。その決定の要因には、政治的にはどうか、スポンサーとの関係はどうか、視聴率はどうか、などを基準に決められる。その上で報道姿勢が決められ現場に落とされる。現場ではそれに沿ってストーリーが組み立てられ、それに沿ったビジュアルが下請け、更に孫請け会社の手で集められる。路上のインタビューなどは、いくつか取ってストーリーに合ったものだけをいくつかつなぐと、まるでそれが一般の人はそう思っていると思える画像になる。
ものごとには、必ず幾つもの側面(Aspects)がある。それを、あたかも一つしか無いように見せかける報道が増えて来ているのでは無いか。考え方は、百人百様である。それを、日本人ならこう考えるべきであると言うような風潮が出てきているのではないか。そして、日本の人たちが皆同じ方向を向く事に慣らされて来ている気がする。そしてその間に国会審議も経ることなく、最重要な問題が法の解釈を変えると言う方法で決められて行く。
これを読んでブログ管理人が、石原大臣や鈴木都議を擁護しているように思えた読者は、もう一度良く読み直しをして戴きたい。 |