集団的自衛権容認解釈の閣議決定に思う
ブログ管理人
環境問題に専念するはずの当ブログであるが、環境破壊の最たるものは戦争であるので、その戦争への可能性を開かれるとすれば、これは大いに環境に関係があると言うことで「寝言」を許してもらいたい。
以前中南米のコスタリカへ行ったことがある。ワールドカップ決勝トーナメントでギリシャを下しベスト8に残っているあの中南米の小国である。コスタリカ人の友人を訪ねて妻と二人で出かけた。自然がいっぱいの緑の多い、と言うか熱帯雨林の中の国と言う感じであった。首都サンホセの空港は、日本のローカル空港よりも質素な空港であった。日本の13%ほどの国土に460万人が暮らし、その一人当たりのGNPは100万円強で、決して豊かとは言えない。しかし、国民は人なつっこく底抜けに明るい。ぼくたちはホテルに泊まりたかったが、友人の強い申し入れで彼の家に泊めてもらった。決して広くないお宅の、お嬢さんの部屋に泊めてもらったが、全て質素な暮らしであったが、おばあちゃんも奥さんも気さくで、言葉は通じなかったが心は十分通じた。
コスタリカは、1948年に軍備を放棄している。その頃中南米では、どの国も政情不安や国境問題を抱えていたのであるが、コスタリカは、一方的に軍隊の保持を止めて、それまでの国防予算を全て、教育に振り向けた。コスタリカでは9年間の義務教育は一切無償である。その為に中南米ではトップクラスの96%の識字率を誇っている。
コスタリカと国境を接するニカラグアとは常に国境問題を抱えており、国境線は警察が守っている。友人に、ニカラグア軍が本格的に侵攻して来たらどうするのかと聞いたら、国際世論に訴えて侵攻を阻止する事ができるし、憲法には国家的危機の際には軍隊を編成する事は排除されておらずその場合徴兵もできるので我々は戦うとの返事が返ってきたが、常備軍が無いのに危機が起きてから軍を作ると言うのはまず無理だろう、国連や米州機構に頼る他ないと言うのが現実のようである。そんな不安定な中にあっても軍備を放棄し、その予算を教育に使う英断をしているのだ。
コスタリカは米州機構の一員であるが、軍隊は持っていない。経済的には米国に依存するところが大きい。米国資本のチキータバナナの生産地として、国の熱帯雨林が次々とバナナ農園と化して行き、生物多様性の観点から環境学者達は警鐘を鳴らした。それに応える形で、コスタリカ政府は1996年にバナナ農園を熱帯雨林に戻す政策を断行している。(2013年1月7日の当ブログ参照)その結果15年間で10%の国土が熱帯雨林に戻っている。これによる米国資本が被った損害は計り知れない。
米国の傘の下に入りながら、堂々と自国の主権は主張しているこの国のしたたかさを日本は大いに学ぶべきである。経済力が無い小国は、大国の言うがままになるより存続する方法が無いと言うのであれば、世界はいずれいくつかの大国に全て吸収されてしまうのだろうか、そんな事は決して起きない。ましてや、衰退したとは言え世界第三位の経済力を持つ日本が、軍備を持たなければ他国と対等に付き合って行く事ができない訳が無い。戦える普通の国にならなければ、他国と対等に付き合えないと言うのはどう考えてもウソである。これまで、日本が憲法に書かれているからと言う理由で、国連軍に軍隊を派遣しなかったからと言って、日本批判の国連決議が出された事は一度も無い。第二次大戦の枢軸国の一員として戦争責任を感じ、軍備を放棄し経済で国連を援助すると言う形で世界平和に貢献する姿を国際社会は理解していたと思う。本当の理由は別の所にあるように思えてならない。
コスタリカのような小国ですら、軍備を放棄しても存続が今後も許される国際社会を目指すのが、平和憲法を持った日本の義務であると思う。世界に誇れる平和憲法を最も大切にすると思われていた連立与党の公明党が、集団的自衛権容認に回ったことは誠に遺憾なことである。裏切られた気持ちでいっぱいである。 |