朝日新聞2014-08-17 朝刊8面 声欄「終戦」特集(下)から
負の歴史見つめ続けるドイツ
文筆家 シャーウィン裕子さん(英国77)
ドイツのベルリンには今も、ナチスによるユダヤ人大虐殺「ホロコースト」の記憶が残されている。
7月に訪れたとき、ある家の前の石畳に真鍮の板「つまずきの石」が埋め込まれていた。その家からユダヤ人が連れ出された印だ。ベルリンには同じものが数多く有るという。
街の中心にあるホロコースト記念碑には、棺型の碑が墓地のように広がる。ドイツの友人は「戦後、国中が負の歴史を振り返った。碑は過去を繰り返さないという願い。教育の一環として、子どもたちは碑や記念館、かつての強制収容所を見学する」と語った。
ユダヤ人の夫は、ドイツへの旅を長年拒んできた。今回しぶしぶ出かけた。彼は「罪は許せないが、これだけの謝罪の努力を国民と政府が協力してやってきたことは称賛に値する。来てよかった」と言った。
さて、日本は加害の歴史をどう考えるだろうか。
以上は、朝日新聞声欄に投稿されたものであるが、ドイツが今も、どのように過去の負の遺産と向き合っているのかを示す例としてとりあげさせて貰った。8月15日が行ってしまったが、日本ではやはり加害者としての日本を見直すようなテレビの特番は無かったし、新聞各紙にも取り上げるほどの特集は無かった。
「つまずきの石(Stolpersteine)」は、ベルリンに生まれ現在はケルン在住のアーティスト、グンター・デムニッヒ(Gunter Demnig)氏が1992年に始めたプロジェクトで、ナチス政権の犠牲になったユダヤ人、反体制活動家、同性愛者、ロマといった人々を弔い、記憶の忘却から防ぐために、彼らがかつて住んでいた場所に赴いて、名前、生れた年、死亡年とその場所が刻まれた10センチの正方形(真鍮製)の石を、その町の協力を求めながら埋め込んでいったのだ。ベルリンで初めてつまずきの石が埋められたのは、1996年のこと。現在まで、その数はドイツを中心に約1万4000個にも達するという。
ブログ管理人は、1972年に北海道室蘭に長期出張していた事がある。そこで、地元の有力者の老人から、彼が満州で憲兵をしていた頃の自慢話を酒の肴にするのを何度も聞かされた。それは、満州における日本の憲兵と言うものがどんな権力を持っていたのか、現地の人の生命など虫けらのように考えていたことを滔々と話すのであった。今、考えればきちんと録音して、場所や時間を記録しておけば良かったと思うが、当時はそんな話は聞きたくも無く、いやいや聞き流していた。一説では、第二次大戦で中国大陸では1000万人もの民間人が死んでいるが、その多くが、ヒステリックになり前後をわきまえなくなった兵士に理不尽な殺され方をしたのではないだろうか。
ナチスドイツが殺したユダヤ人は600万人と言われているが、日本人が殺した北東・東南アジアの人たちの数は一体何人だったのだろうか、確たる記録は無いようである。その点、ドイツの強制収容所の記録はドイツ人の緻密さの為にきちんと文書で残されているようである。ブログ監理人がダッハウの強制収容所で見た資料では、ナチス政府からユダヤ人一人当たり日額何マルクと予算が有るのに対し、実際はその半分も使わずに、収容所長たちの懐に入っていた証拠の帳簿なども残されていた。ネット上のブログの書き込みを見ていると、1000万は多すぎる、それは多くても200万だろうなどの議論があるが、それが200万人であれば、罪が軽くなるというわけでは断じてない。日本人には過去の過ちを見つめて二度と起こしませんとの誓いが必要なのだ。今年の広島と長崎での首相のスピーチから、歴代の首相が必ず入れていた「過去の過ち」と言う言葉が無くなった。
ネット上でも、英語ではあるがダッハウの強制収容所の見学ができるので、そのURLを紹介しておく。
http://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/ |